ギャラリーへ

馬籠の一日

画像をクリックすると馬籠の紹介がでます   画像が24枚あり読込に時間がかかります

長野県南西部、岐阜県との県境に位置する馬籠は、
かつて中山道の宿場として賑わいをみせる馬籠宿を擁する歴史のふるさとです。
さあ、そんな馬籠の一日の旅をしてみませんか。

☆☆旅人のもてなし☆☆

 旅人を親切にもてなすことは、古い街道筋の住民が一朝一夕に養い得た気風でもない。
椎のはに飯(いい)を盛ると言った昔の人の旅情は、
彼らの忘れ得ぬ歌であり路傍に立つ道祖神は子供の時分から、彼らに旅人愛護の精神をささやいている。

「夜明け前」島崎藤村

「木曽路はすベて山の中である」の有名なプロローグにはじまる、
名作「夜明け前」の舞台となった木曽路とはいうまでもなく中山道の一部である。
しかし、江戸時代より、「木曽名所図絵」とか、「木曽街道六十九次」とかいわれ、
木曽路が中山道そのものの代名詞として理解されてきたことは、
中山道を象徴する風土と、景観が木曽に凝縮され生きずいているということでもあろうか。 
中山道のル―ツは、徳川幕府の成立とともに、慶長七年(1602年)、
江戸と京都を結ぶ重要な幹線道路と位置づけられ、宿駅制度がしかれ、
延長500kmの街道ぞいに、六十九の宿場が整備されたことにはじまる。 
木曽路とは、そのなかで、北の桜沢から、南の馬籠までの二十二里。
この間に十一の宿場が設けられた。
木曽谷の谷あいを流れる木曽川に沿うようにして続く険阻にして、
清冽な木曽街道を、江戸と京都の東西に行きかう旅人は、二泊三日の日程で往来した。

中山道フィールド博物館ガイド 木曽街道フィールド博物館は、建物としての博物館ではありません。都会の人びとが忘れかけた「ふるさと」のイメージを色濃く残す旧中山道《木曽街道》を散策することによって体験できる、生きた野外博物館(フィールド博物館)だと思う。 今や時代は高速時代、しかし、高速時代なるが故に人々は、歩くことの楽しさを、むしろ発見しはじめているようです。ゆたかな自然と歴史的環境に渡れた木曽路を訪れる人が、額に汗しと街道を旅することによって、古の旅人 (・・・枯葉を踏み、今夜泊まる宿場の灯をめざして険阻な峠を急ぐ・・・)の心に想いをはせ、旅の原点を垣間見ることができ・・・行燈が、格子戸が、ひなびた石畳が旅情をさそう。タイム・トラベルへの誘い・・・それが木曽街道フィールド博物館でした。


Copyright 2002-2004 Hero's Gallery Inc.. All rights reserved.

ImageChanger.class